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遊撃的人生録

身の回りの風景を、独自の世界観で。

物心について一考。

 こんばんは。銀礫です。今日は熱があるのでさっさと切り上げたいです。

 

 今日は物心について。

 みなさん、「物心がつく」というのを、どういうふうに理解していますか?

 

 僕はですね、これが本当にわからなかった。みんな「物心がついた頃には…」みたいなことを言っているのですが、「物心」そのものについては、誰も言ってくれない。

 ずっとずっと僕の中で謎だったのですが、それが最近になって、やっとわかった気がしたのです。

 

 僕の中で「物心がついた」時というのは、おそらく、小学四年生の頃を言うのだと思います。その時から、僕は、自分の内面について一定の思考回路を認識するようになったのです。※何言ってるのかわかんないという人は以下の記事参照。たぶんもっとわからなくなります。

ginleki.hateblo.jp

  まあ、つまり、自分について考えるようになったとき、ですかね。

 

 ちなみに、僕が読んだことのある文献では「物心がつく」というのは、「その瞬間以降の記憶を覚えている、という瞬間」と書かれていました。僕はこの書き方が少し疑問でした。なぜなら、幼稚園のこととかも断片的に覚えたりしていましたので。ですが、やはり小4以降の記憶のほうが鮮明なので、この書き方もあながち間違っていないのかな。

 

 あ、そういえば初恋も小学四年生でしたね。

 

 さて。つまるところ、僕の中での「物心がついた」は、自分の内面について考えるようになった、小学四年生のとき、ということです。きっかけはあまり思い出せませんが……その始まりのイメージは、何となく覚えています。不思議な感覚でした。

 そのときの思考回路が、この歳になってもまだ続いているのですから、物心のつきかたっていうのは、けっこう重要な部分だったりするのではないのでしょうか。

 

 さて。みなさんはどうですか?