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遊撃的人生録

身の回りの風景を、独自の世界観で。

内的世界のお話。

 こんばんは。銀礫です。

 

 最近僕は、心身二元論的な一元論を唱えているのですが、ふと、内的世界を持っている人ってどんな感じなんだろうなって思いました。

 

 内的世界というのは、僕の中の定義では、こう、自分の精神空間が存在する感じ、と言えばいいのでしょうか。空間でなくても、理論体系みたいなものでも、そう言えるのかもしれません。

 

 これを見てピンと来ない人は……たぶん今日のブログは面白くないのでしょう。何いってんのこいつイタいわあみたいな。その感覚を否定するつもりはありませんがやっぱり聞くと辛いですよね。

 

 さて。なぜ内的世界と僕が呼んでいるのかというと、僕の場合、それは世界観的なものになっているから、なのだと思います。心の中に、ファンタジー世界をひとつ、宿しているのです。(宿しているというよりか、その中に自分がいるというか、それ自体が自分の本質というか。)

 僕の内的世界の歴史は古く、だいたい小学四年の頃からです。その認識を持って、僕は物心がついたと判断しています。

 そして、既に12代目です。今日代替わりしました(この話は恥ずかしいので割愛)。

 

 そんなことを考えていると、他の人はどうなんだろうなって、ちょっと思ったり。

 なぜなら、僕は自分の内的世界のために思考の半分とは行かなくても三分の一以上は費やしています。

 他の人は、その時間分、別のことを考えているんだなぁとか思うと、不思議なわけです。そんなたくさんの時間を使って何を考えているんでしょうか。気になる異性の落とし方とか?

 

 ですが、まあ、口ではこんなことを言っていますが、実際にそういう話を他の人とすることは苦手なのです。

 簡単に踏み込ませたくないですし、踏み込むのもちょっと怖いですし。

 

 ……他人の本質に触れるって、ほんと、危ないことなんですよね…。

 

 と、いうわけで。やっぱり僕は自分の世界観を一方通行的に表現するしかできなさそうです。ブログとか、物語とか、音楽とかで。誰得とか、そんな現実的な話はなしにして。

 そして、他の人の世界観も、やっぱり対話ではなく、なにかしらの受け身として感じるのが、楽しいというか、おもしろいというか、素敵なのだと思います。物語として、みたいに。

 

 お互いの一方通行、が理想なのかもしれません。あ、交互通行かな。

 

 直接は、こっ恥ずかしいのですよ。やっぱり。お互い困りそうで。

 直接のお話だと、嘘が混じったり、本質すぎたりしますものね。ついうっかり的な。

 

 だから、僕は、語るのをやめません。一方通行であろうとも。ああ。ネットっていいなぁ。

 

 まあ、つまり。

 僕は今日のブログで、考えたこと語りを続ける正当な理由と、こっ恥ずかしいことをしなくてもいい正当な理由をこしらえたわけです。

 

 自分の中で正当な理由になったならば、それは正当な理由なのですよ。自分の中では。

 

 まさしく、内的なお話なので、これでいいのです。これがいいのです。