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遊撃的人生録

身の回りの風景を、独自の世界観で。

理想は期待でできている。

 「心の休息」ってどうやったらいいのでしょうか。

 疲れて疲れて仕方がないのですが、どうも癒せない。

 リフレッシュしたとしても、すぐに悩みは蘇ってくる。

 そうして苦しみ続ける。

 格好よく言うと円環の呪いに囚われている感じですね。

 ああ、どうすれば。どうすれば。

 なんとなく、ぐるぐるとまわっているのならば、自分は意味のないことをしているのではないかと感じてしまいます。

 ですが、他にやることもない。

 ……だからダメなのでしょうか。

 かといって、他にやる気が起きない。

 もしかして、手遅れだったりして。

 悩み過ぎで悩みを吹き飛ばす何かをする気も起きなくなっている。

 ネガティブの閾値を超えてしまっているのかもしれません。

 ならば、どうすれば。どうすれば。

 ……疲れます。本当に。

 こうして書き出していれば、少しは楽になるのでしょうか。

 あまりなった気はしませんが。

 

 そもそも、何を悩んでいたのでしょうか。

 

 「こうあらねばならない」という考えが強すぎるのかもしれません。

 そうでない自分に嫌気が差して。

 そうなれない現状が大嫌いで。

 でも悩みで脚は止まり、変わることもできない。

 永遠に届かない理想を眺めるだけ眺めて自分を傷つける。

 傷ついた心では、もう立ち上がることすら難しくて。

 でも、視点だけは理想を眺め続けて。

 座っていても、横になっていても、ずっと傷ついて。

 

 そんな悩みならば、どうすればいいのかな。

 眼を閉じれば、少なくとも傷つくことはなくなるのかな。

 でも、瞼を閉じても、心の眼は理想から視線をそらさない。そらせない。

 では、心の眼を閉じるには。

 あるいはせめて、眩んでいる視線をそらすには。

 

 ふと、こんな話を思い出しました。

 どこかの国の心理学の実験でしたでしょうか。

 子どもたちの目の前にマシュマロを置き、「15分我慢できたらもういっこあげよう」と言う実験だったと思います。

 そこで、15分我慢できた子どもは、15分間そっぽを向いてマシュマロを見ないようにしていた、とのこと。

 ならば、何かを見て苦しむのならば、やはり見ないようにするのがよいのでしょうか。

 

 ふと、こんなことに気が付きました。

 僕を苦しめる理想は、他人の期待によって形作られている気がします。

 その期待に応えなければならない、と。

 よいところに就職しなさい、よい人と一緒になりなさい、よき先輩であれ、よき後輩であれ、みんなと仲良くしましょう、迷惑をかけないように、泣かせないように、、、、、

 そうやって、自分のことを棚に上げてしまっている気がしました。

 

 じゃあ、その、他人の期待によって作られた理想を、見ないようにして、生きるって、いったい、どうすれば、どうすれば。どうすれば?

 

 今後の課題、ですかね。

 

 今回のところは、「(苦しめる)理想は(他人の)期待でできている。」と気がつけただけでも、一歩進んだということにしたい、です。「体は剣でできている。」と文字数が同じですね。悩みが無限に複製されるのでしょうか。

 

 軽いネタが言えるほどには、心が軽くなったのかもしれません。それでは、また。